――眠れない。
万里子は、ため息をついた。
パジャマに着替えて自室のベッドに横になったものの、眠気は微塵も感じられなかった。
出てくるのは、さっきからもう何度目になるか分からないため息ばかりで、時間だけが音もなく過ぎてゆく。

(――いよいよ、明日。)
万里子は、暗い部屋の天井を見つめながら考えた。
彼女が、無くしていた過去の記憶を取り戻してから、一週間が過ぎようとしている。
明日は、いんこの「舞台」の日だ。
わざと鳶に車を襲わせ、なかば強引に彼女の中の"モモ子"を呼び覚ました男が、明日、彼と彼女の人生を大きく狂わせた自らの父親に復讐をする。
舞台の上で、"役者のやり方"でもってそれを果たすつもりだと、記憶を取り戻した万里子に、いんこ――鍬形陽介、は言ったのだった。

「…ちゃんと眠っておかないと。明日は、しっかり警備しないといけないんだから」
自分に言い聞かすようにもらした独り言すら、夜の静けさの中に吸い込まれていくようだ。

明日のいんこの舞台。それが、ひどく危険なものになるだろうことは間違いがなかった。
この舞台に、彼は今までに稼いだ大金のほとんどを注ぎ込んで、派手に宣伝をうっていた。
大勢の観客の前で自身の犯してきた悪事を暴かれることになる鍬形隆介が、これを黙って見ているはずはなく。幕が上がるその前に、いんこを暗殺しようと考えたって、当然だ。
事実、この数日間、彼は鍬形の手の者から逃れるために、いくつかあるアジトを転々としていたようだ。けれど、明日はそうもいかない。
銃弾をさえぎる物もない広々とした空間に身をさらして、演じるのだから。

(…大丈夫。警官だって、十分に配置するんだもの。)
彼の警護をかって出た万里子は、上司である現在の父親に頼んで、劇場の警備にあてる人員を可能なかぎり集めた。
打ち合わせを何度も繰り返し、自身の訓練にも普段以上にとりくんで。
できることはすべてやるつもりで準備をしてきた。
それでも、不安な思いは拭い去れない。

「…復讐なんて…」
この一週間、何度も言いかけてはそのたび飲み込んできた言葉が、口からこぼれ落ちる。
本当は、復讐なんて、しないでいてほしい。
両親を殺され、自身も生死の境をさまよい、記憶をなくしまでした。万里子だって、鍬形隆介が憎くないはずがない。
けれど、万里子は、いんこがとろうとしているような危険な手段以外で、鍬形を裁く方法を探したかった。
そして、それは彼よりもむしろ、正義を守るべき刑事という職業に就いている自分のほうが、果たさなきゃならない使命なんじゃないか…とも思う。
だから、生命を危機にさらしてまで、彼に復讐などしてほしくない、というのが本音だ――それは自分一人の、勝手な思いなのかもしれないけれど。

彼。七色いんこ。鍬形陽介。
取り戻した記憶の中には、中学生の自分達がいた。
モモ子だった自分と陽介は、たしかに親友だった。
彼と話していると楽しくて、時間を忘れた。休みの日にはよく二人で劇場にも行った。
どれだけ一緒にいても嫌にならなかった――うまく説明できない、あの連帯感と信頼。
あれは、初恋だった?

吐き出すため息の中で、万里子の過去の記憶と現在の思いとが、ぐるぐると渦を巻いて混ざり合う。

大人の男性となって再び彼女の前に現われた彼。
いつだって人をからかうような調子で、それなのに気がつけばいつも傍にいる。
覚えたのは、あの頃とは違う心のざわつき。
今ならはっきり分かっている。彼に恋をしているのだ。
だから、彼の望みを叶えてあげたい。舞台に向かう彼を支えてあげたい。
飄々とした風を装っているけれど、きっと万里子には想像もつかないほどの苦しみを抱えて、ここまでやってきたのだろうから。

でも、もしも、万が一にも、刺客が警備の壁をすり抜けることが、あれば。
彼を失うのが怖い。怖い。





――眠れない。
ため息をつく。
時計に目をやれば、まだ思ったほどには針は進んでいなかったけれど、万里子はもう眠ることをあきらめた。
こんな調子では、かえって消耗するだけだ、とベッドから起き上がる。

(あたしってほんと、あいつに振り回されてばっかり。)
手早くパジャマを脱ぎ捨てて、いつもの制服に袖を通した。
(だいたい、天才だか何だか知らないけど、お芝居が好きすぎるのよ。あの芝居バカ。)
命懸けで演じるなんて、それじゃ「死ぬほど芝居が好きです」って言ってるようなもんじゃない。あたしの立場はどうなんのよ。
(いや…べつに、告白とか、されたワケじゃないけど…)
自分の思考が、急に恥ずかしくなる。
だけど、彼のアジトでみつけた「愛している」の文字。
それに、戯れにだったのかもしれないけれど、一度だけかわしたくちづけ。

(とにかく会って、顔を見て話そう。)

一人じっとしたままで思い悩むなんて、自分らしくない。
あんたのせいで眠れないのだと、会ってこの胸のうちを言わせてもらおう。それから、彼にも聞かせてもらわなきゃ。

いんこが今夜泊まっているホテルとルームナンバーが書かれたメモをつかむと、万里子は大きく深呼吸をしてから、部屋を出た。


                                                 57.眠れない


お題提供:創造者への365題
私の脳内では、このようにして、刑事さんがいんこの部屋におしかける事になっています。妄想炸裂!
06.08.12



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